N1 言語知識(文字・語彙・文法)・読解
(本屋で)
A「あ、この本、面白いよ。」
B「どんな話?」
A「主人公と恋人が、親に無理やり( )話なんだけど、すごくどきどきするんだ。」
川村「石田さん、ギターがほしいって言っていましたよね。わたしの弟が使っていたギターがあるんですが、よければどうですか。」
石田「いいんですか。」
川村「はい。弟に聞いたら、弾いてくれる方がいるなら、ぜひと言っていましたので、どうぞもらって( )。」
low confidenceわが国では一般に、日本人が外国語を話せないのは、教育の技術が悪いからだと信じられている。はたして41。確かに教育にも問題があろう。しかし、たとえばつぎの四点を実行42、どんなに「会話」がうまくても、国際的な場所では傾聴(注)されないだろう。
1 自分の考えを論理的に表現する43。
2 遠慮せず議論に割りこむ43。
3 他の人とひと味違った発言をする43。
4 五分に一度は聴衆を笑わす43。
この四点は、考えようによっては、外国語を話すよりも難しい。44わが国では、語るには情をもってし、つねに控え目で、皆と同じことを行い、まじめでふざけないことが評価され、美徳とされているからだ。
こう考えてみると、日本人の外国語下手は、教育技術の問題というよりは、もっと深い文化の問題45と思うのである。
大人になっても、味覚は変わり続ける。二十代の血気盛んな頃、すき焼き鍋などを囲むと、肉ばかり食べている私を見て、「私たちはもう沢山。年をとると、キノコや野菜が一番おいしい」などと半ば私を、半ば自分自身を諭すかのように言う年長者がいた。なるほど、私も、最近では肉の味のしみた野菜やキノコがおいしい。一方で、肉も相変わらず食べる。年長者だって、肉を食べなくなるわけではない。
相手を思いやる気持ち、これも、「あいさつ」の心にちがいありません。
先年、アフリカへ行ったとき、タンザニアで聞いたことですが、現地の人たちが道で知人とあいさつを交わすとき、おたがいに家族の安否をたずねますが、たとえ自分の家族に病人がいても、それを口に出さないのが暗黙のルールになっているのだそうです。相手の気持ちに負担をかけまいとする心からです。
毎年、花の種を蒔いたり、球根を植えたりする季節が近づくと、種苗を扱う農園から、色刷りのカタログが送られてくる。私には植物を実際に取り寄せて植える土地などはないから、それを眺めて空想庭園を楽しむのである。しかし、それらの誇らしげに咲いている花の見合い写真を次々に見ていくと、連中(注1)が一様にある傾向を有していることに嫌でも気がつく。つまり、すべての花を「品種改良」によって、より大輪(注2)にし、そして何でもかでも八重咲(注3)に造りかえてしまおうという、人間の趣味と努力と一種の意地がそこに反映しているのである。
生きものは危機と遭遇しそれを乗り切ることで進化してきました。人間社会も同じです。環境変化による影響を受けにくくするため、私たちの祖先は集団生活を始め、都市を築き文明を育ててきました。協調が社会の基本にあります。文明の初期段階では、生き延びるため、皆が協調します。しかし、生存が既定のものと思うようになると、自分さえよければいいという自己利益の最大化に走ります。結果は滅亡です。
定年に備えた企業の研修資料に<「自分」―「仕事」=?>とあるのを見て、会社一筋に働いてきた人には厳しい設問だなあ、と思ったことがある。
事実、会社人間だった大阪の友人はこの設問に「ゼロや」と苦笑して、定年後の近況を話す。
「女房が出掛けようとすると、ワシ(注)も行くと言うもんやから、すっかり嫌がられてるよ」
こういう定年亭主を「恐怖のワシも族」と言うのだそうだが、今やさぞかし①「ワシも族」がはびこっていることだろうと思いきや、ニッセイ基礎研究所の「定年前・定年後」という本にこんな調査結果が収められていた。
数字は省くが、仕事に生きがいを持っていた人のほうが、そうでない人より定年後の社会活動にもずっと生きがいを感じているという内容で、要するに、会社人間ほど定年後も意欲的という分析だ。
彼らの社会活動の生きがいは、交友関係の広がりによって生まれているようで、植木職人になったり、NPOやボランティア、地域活動に携わっている元銀行員をはじめ、多種多様なケースがいろいろ紹介されていた。
以前、あれは有力銀行の支店長であったか、定年退職した途端、年賀状も激減するなど一変した状況に喪失感を覚え、自ら命を絶ったという話を聞いたことがある。
これなどは極端なケースだとしても、<「会社」のために頑張る価値観は、「社会」のために頑張る価値観と合致するかもしれない>と分析される先の調査結果などは、会社人間の「その後」に②新しい視点をもたらすものだろう。
技術者にとってレース車を開発するというのは、非常に魅力があるようなのだ。
それはそうだろう。市販車の開発であれば、コストのことや工場のことを考えなければいけないので、自分の考え出した創意工夫を必ずしも反映できるわけではない。いいモデルを出したからといって、営業の力が弱ければ売れるとは限らない(少なくとも、多くの開発技術者はそう思って歯軋り(注1)をしているに違いない)。しかし、レース車であればある程度、採算無視で色んなことにトライできる。何よりも、営業力や他の要素に邪魔されることなく、①どんな大メーカーを相手にも対等に優劣を争うことができるわけだ。
逆にいうと、言い訳のない世界でもある。敵よりコンマ1秒でも遅れをとれば負けるのだ。そして、それは、はっきりとその場で目に見える。(中略)
目標設定も単純だ。市販車開発なら、時にはアメリカと欧州の両市場で売れる車を作ってくれと営業から要求されたりする。そこでは技術者に妥協せざるを得ないが、レースは絶対的な速さだけを目指せばいいのだ。その代わり、自分の実力が今そうであれ、敵の車が75秒でサーキット(注2)1周していれば、それより速いタイムで走る車をつくらないと意味がないのだ。②出来る、出来ないを論じる余地は全くない。また、お分かりのように、他チームの車の真似だけをしていれば、決して「最速」にはならないのも真実なのだ。
わが国の文章の書き手として、想像・想像するという言葉をもっともよく使ったのは、おそらく柳田国男であろう。民衆に伝えられる生活の慣習、用具など心に残る手がかりをつうじて、なつかしい古層(注1)へとたどる民俗学の、わが国での開拓者として、柳田にはこの言葉がきわめてたいせつなものであった。
柳田は、それと空想・空想するという言葉とを区別しようとした。その文章の執筆の時期や、あつかう対象、また語りかける相手のちがいにつれて、柳田の行なった空想・空想すると、想像・想像するの区別には、いかにもはっきりしている際と、そうでない場合がある。しかし後の場合も、空想・空想することをしだいに正確にしてゆけば、想像・想像するにいたるという、段階的なつながりにおいて――あい接し(注2)、境界がぼやけていることはあるにしても、その上辺と下辺には、ちがいがはっきりしている、という仕方で――使われている。
具体的な根拠のない、あるいはあってもあいまいなものにたって行なう古層への心の動きを、空想・空想するとし、よりはっきりした根拠にたつ、しっかりした心の働きを、想像・想像するとして、柳田は使いわけているのである。そこで時には、ややとか、あきらかにとかいう限定辞をかぶせねばならないのではあるが、空想・空想するには、人間の心の働きとして、マイナス・消極的評価のしるしがついており、想像・想像するは、プラス・積極的評価のしるしがついている。
理系の文章は明確な目的を持っている場合が多いので、その目的に応じて読者は文章を読む。このため、目的に合致した文章は満足感を読者に与える。たとえば、「東京都の交通渋滞に関する調査報告書」はそれを知りたい人が読み、その内容が過不足なく記述されていれば100点の評価となる。調査内容が不十分であれば評価は下がり、満足感は少なくなる。
しかし、もし著者と読者のあいだで、その文章を媒体として記述されていること以上の事柄が発見できれば、読者にとって最高の満足感となる。言い換えると、読者が新しい知識を発見する喜びを支援する、あるいはそのきっかけとなる文章こそが、100点以上の評価となる。それは著者と読者の①シナジー効果(二つのものから、それらの合計以上のものが生み出される効果)であり、それをもたらすには、著者は常に読者を意識し、読者とともに問題の解決にあたるという姿勢を持つことで文章に磨きがかかる。
いくら仕事や理系の文章だからといって「AはBだ、覚えておけ」という姿勢の文章では読者の満足感は少ない。むしろ、読者は自分の無知を知り、自己嫌悪に陥り、一方、著者への親近感はなくなり、読む気がしなくなる。文章の目的を達成するために大事なことは、読者が最後まで読んでくれることである。いくら素晴らしい内容が書かれていても、読者が読む気のしない文章は目的を果たすことができない。
学生のレポートで、②それが一番よくわかる。なにしろ提出数が多いので、すべてを完全に理解しようとして読むことは不可能である。結局、最初の数行を読んで、あるいは全体を見渡して、読む気が起こるかどうかが評価に大いに影響する。これは、上司に提出する企画書や、コンペ(注1)に応募する提案書などでもまったく同じである。
その意味で、人の読む気を誘う文章であるかどうかは重要である。では、読む気とは何か。それこそがシナジー効果である。
(中略)
読者が自力で新しいことを発見することの支援はなかなか難しい。むしろ、自分の思考過程を深く分析し、読者と一緒に考えようという姿勢を持つことが最も重要である。読者に与える完全な解答はなくても、解答に向かうひたむきな姿勢を示すことができれば良いのだということである。言い換えれば、ごまかしがなく、技巧を弄ばず(注2)、大げさにいえば著者の人生観を示すことで、真実に迫ろうという書き手の気持ちが読者に通じるのである。仕事の文章や理系の文章は、一般にはこういう行間の意味は不要と考えられているが、それでは無味乾燥(注3)の教科書文章となり、人の心に届かない。いくら人の③脳に届いても、心に届かないものは読む気がしなくなり、結局、読者の脳にも届かなくなる。
生態系保全(注1)では、そこに生息(注2)する生物のことを考慮するが、生態系を構成するすべての生物を等しく扱うことはできない。なぜなら、一部の生物を守ろうとすると、必ず不利益を被る生物が生じるからである。すなわち、われわれ人間が何をしても、それによって利益を得る生物と不利益を受けるものが生じることになる。そうなると、生態系を保全する目的で、何らかの活動をするということは、一部の生物種に利益を与えるということになる。
(中略)
唯一われわれが言えることは、われわれが人類であるから、「地球生態系は人類が健全に生きていくためにある」ということである。すなわち、「生態系は人類のため」なのである。言い換えれば、人類に利益を与えてくれる生態系を保全すべきなのである。
保全生物学(注3)の核となる概念である生物多様性は種の存続によって維持される。したがって、保全生物学では、希少種や減少過程にある個体群の保全に関する知識と方法が一つの重要な課題である。(中略)
しかし、個別の種をそれぞれ保護することは非常に困難である。一つの生態系をとっても、微生物から植物、昆虫、哺乳動物など多くの種が生存しているが、それらの全ての生態を把握して保護することは不可能に近い。さらに、未分類の種や種レベル以下の遺伝的多様性は、個別の種を保護する方法では逆に保護されなくなってしまう恐れがある。そこで、多様な生物の相互関係を含む自然をそのまま保全することが重要になってくる。つまり、生態系を保全することで、そこに含まれる全ての生物を保護するという考え方である。
うちの犬は頭がよくないけれどむやみに吠えない。これは犬種の性格である。もうひとつ、絶対に噛みつかない。これは訓練士に仕込まれた成果である。大きな犬なので幼児に噛みついたら事件になってしまう。
訓練士は二十代の女性でスクーターに乗ってやってきた。訓練時間は週に4回、各30分である。半年近く経っても訓練が終わらないので、いつになったら卒業できるんですか、と訊ねた。家庭内での序列がはっきりしたら、と説明する。序列ねえ、どういうことかな、とさらに質問すると、①お宅の坊ちゃんがまだ……。
十年前なので息子は小学生である。体格的にも犬と息子に差がない。うちの犬はまず僕、つぎに妻と気の強い娘に降参(注1)したのだ。だが息子は軟体動物のようにふにゃらふにゃらとしている。寝てばかりいる。起きてもあくびばかりしている。両者は最下位争いを演じたまま四つに組んで(注2)決着がつかないらしい。
動物は序列に敏感なのだ。
(中略)
女性の訓練士が説明した。犬をかわいがっているつもりで甘やかし、②腕をがぶりと噛みつかれた飼い主がいた。甘やかせばつけ上がるだけ、自分が主人と信じ込んで飼い主をなめた結果である。動物はつねに威嚇しながら序列を確認しているから、仲間同士は本気で喧嘩をしない。相手が強い、とわかれば争わない。喧嘩したら互いに傷つき、厳しい自然界では生き残れないから。
さすがに血のめぐりの悪いわが家の犬も、ある日、息子にゴツンと頭を叩かれ、最下位が確定、平和的に棲み分けが決まり、予算オーバーの訓練は終了した。
動物から教訓を得たわけではないが、家庭内でもタテマエとしての序列がないと混乱がはじまる。親父の権威の喪失が取り返しのつかないところまできたのは家父長制(注3)を否定しすぎた結果でもある。戦前は長子相続で、次男以下は相続権がなく女性にいたってはその他大勢の扱い、ひどいものだった。そういう状態を復活せよ、と述べているのではない。
職場で女性がもっと管理職に進出できる環境は整えたほうがよいし、僕の経験からして共働きには賛成である。家事も分担したほうがよい。だが③男女平等をはきちがえてはいけない。家庭は動物の巣に似た面がある。権威としての父性、包容力(注4)の母性まで削り取ってはいけない。父親は筋肉質で髯をはやし、母親には柔らかな肌とやさしい笑顔があるように、それらしく演じ分けたほうがよい。頻発する家庭内暴力が役割構造の喪失と無縁ではないからである。
東京都カルチャー会館 4月開講の講座
①やさしい英語 4月8日開講
簡単な単語で伝えられるようになるための「聞く・話す」を中心とした講座。中学校レベルの英語で充分。講師はボランティアの日本人通訳者。事前に見学をすることができます。
・毎週火曜 18:30〜20:00 12回 16,000円(教材費別)
・講師 青木一郎(東京友だちつくろう会代表)
②外国人としっかり学ぶ英語 4月10日開講
日本人講師では物足りない。でも、いきなり英語だけの会話についていく自信はない。そんな人にぴったりの日本語が話せる外国人講師によるコース。毎回講師と新聞記事を読みながら読解力を身につける。事前に見学をすることができます。
・毎週木曜 18:30〜20:00 15回 18,000円(教材費別)
・講師 フレンド外国語学校講師
③初めての英語 4月12日開講
決まり文句をまずレクチャー。あいさつや買い物などでよく使う表現を紹介。聞くことから入り、日常会話を勉強しながらやさしい文法も学ぶので身につきやすい。英語での実務経験の長い日本人講師が丁寧に教える。事前に見学をすることができます。
・毎週土曜 12:00〜13:30 10回 14,000円(教材費別)
・講師 石川健二
④ステップアップの英語 4月13日開講
相手に細かなニュアンスまで伝えられる英語力を身につけたいと思っている方におすすめ。中級以上の文法を習得した方対象。イギリス人講師とさらに複雑なテーマで会話をします。雑誌や新聞などの読解もあり。必ず事前に見学をして、ご自分のレベルに合っているかどうかを確認してからお申し込みください。
・毎週日曜 10:00〜12:00 12回 20,000円(教材費別)
・講師 キャサリン・スミス
◎受講の申し込み
受講の予約、申し込みはお電話で。お電話での申し込み後、受講される講座の案内と振り込み用紙をお送りします。所定日までにお近くの銀行から受講料を振り込んでください。会館の窓口では、申し込みおよび現金の取り扱いはいたしません。
館内には4月からの講座の総合パンフレットを用意しています。気軽にお立ち寄りください。
申し込み/問い合わせ先:03-444-7890 (平日9:00〜17:00 )