N1 言語知識(文字・語彙・文法)・読解
中村「山田さんは本当に猫が好きなんだね。今日のバッグも猫の絵柄だし」
山田「うん。でも、あんまり持ち物が猫柄ばかりなんで、家族から『猫好き( )だろう』って言われたりする」
「さっきから」ずっと家じゅうに、モノを配って歩くみたいなことをしていない?」。一日の終わりによく思う。その日使ったものをしまうため、部屋から部屋へと動き回る。
バッグの中身も、財布、名刺入れ、手帳などはひとまとめにしておくが、それ以外の日によって違う持ちものが結構ある。
折りたたみ傘を玄関収納に戻し、保冷バッグをキッチンに戻し、ストールをクローゼットに戻し、日焼け止めクリームを洗面所に戻し、書類を本棚に戻し……。出かけるときは急いでいるのでほぼ無心だが、片付ける段になり、こんなにもあちこちからモノをかき集めてきていたのかと41。
元の場所へ運んで、形を整え、入れることを繰り返していると、10分や20分はあっという間。一日のうちどれくらいの時間、モノをしまうのに費やしていることか。
今日じゅうに42、何も死ぬわけではない。後 しして消耗を防ぎ、明日に備える方がいいのでは。
そう考え、ある晩サボることにした出張から帰ったキャリーバッグを、歯ブラシだけ抜きそのままにして寝る。
翌朝、着替えのはみ出たキャリーバッグが床にあるのを見て、どっと疲れをおぼえた。そのとき悟った。しなくていいようでいて、やはり必要な43。
元気は「元」の「気」と書く。一日の活動で昂ったり乱れたりした気が、本来の状態に立ち返る。モノを所定の定位置に戻すのは、その象徴的行為である。元気を「もらう」とよく言うが、私にとって元気はまず、付加より前にリセットだ。睡眠時間が多少短くなっても、今日のうちに44。
人をその気にさせようとしているときに、相手方反論されることがあります。むしろ反論されることの方が多いと言えるでしょう。反論されると、それで「ああ、そのきがないのか」と諦めてしまう人がいます。しかし、反論されただけで諦めていてはいけません。反論されると言うことは、承諾してもらうためにクリアすべき点が明らかにされた、と言うことなのです。むしろプラスに解釈しましょう。反論もせずに去っていってしまう人が最も説得しにくい人です。
一般的に工具は、とても合理的にデザインされているはずです。その原則は、世界中どこに行っても変わらないようですが、その合理的デザインの結果は、なぜ国によって全然違ってきます。もちろん素材や加工方法の違いがあって、工具の役割自体が違う場合も多いのですが、はさみやのこぎりのように、全く同じ機能、素材であっても民族独特の美意識の違いがくっきり現れます。そのことは、工具も持つ美しさが、必ずしも合理性からだけ生まれるのではないことを示しているように思います。
昔もいまも、才能というのは一定の軌道から飛び出してゆく能力のことで、みんなにそんな例外的な能力が備わっていたら、そもそも大地にはりつく農業も、分業で成り立つ産業社会もあり得ない。いつの世も、才覚のある者が新しいビジネスを起こしてゆくのは事実だが、それをビジネスとして成立させるのは社員の労働と献身であるし、それがなければ起業社の才覚が活きることもない。
日記とは限りなく私的な記録であり、読者が存在しないどころか、他人には読まれたくない秘密の表現であるともいえる。
ただ一人だけ、奇妙な読者が存在する。いつでも自由に日記を読むことの出来る、日記の筆者である。その読者は筆者とは異なる場に立って、様々な配慮を働かす。万が一日記が盗み読まれたり、死後に他人の目に曝されるような事態が発生した場合、こんなことが書かれているのはまずいのではあるまいか、等々と。しかし、これは限りなく私的な記録である筈の日記にとって矛盾である。
技術者にとってレース車を開発すると言うのは、非常に魅力があるようなのだ。
それはそうだろう。市販車の開発であれば、コストのことや工場のことを考えなければいけないので、自分の考え出した創意工夫を必ずしも反映できるとは限らない。いいモデルを出したからといって、営業の力が弱ければ売れるとは限らない(少なくとも、多くの開発技術者はそう思って歯ぎしりをすることに違いない)。しかし、レース車であれば、ある程度、採算無視で色んなことにトライできる。何より、営業力とか他の要素に邪魔されることなく、①どんな大メーカーを相手に対等に優劣を争うことができるのだ。
逆にいうと、言い訳のない世界である。敵よりコンマ1秒でも遅れをとれば負けるのだ。そして、それは、はっきりとその場で目に見える。(中略)
目標設定も単純だ。市販車の開発なら、時にはアメリカと欧州の両市場で売れる車を作ってくれと営業から要求されたりするが、そこでは技術的に妥協せざるを得ないが、レースは絶対的な速さだけを目指せばいいのだ。その代わり、自分の実力がいまどうであれ、敵の車が75秒でサーキットを1周していれば、それより速いタイムで走る車を作らない意味がないのだ。②出来る、出来ないを論じる余地は全くない。だが、お分かりのように、他チームの車の真似だけをしていれば、決して「最速」にはならないのも真実なのだ。
下の文章はプールで水泳をするときの準備運動について書かれたものである。
よく、プールなどで、水着に着替えると、ろくに準備運動もしないで、水に飛び込んで水泳のベテランのようなかをしている人をみかけますが、これは絶対にまねてはいけない見本です。水泳は全身運動、しかも体にいろいろな負荷や刺激を与える。いわばかなり激しい運動ですから、水に入る前の準備運動をするのは鉄則だといえます。
まず、筋肉をほぐしましょう。
プールの水温はだいたい30度前後です。なれている人にとっては温かく感じられますが、初めての人はとても冷たいと思うでしょう。人間の体温は36度前後ですが、水の熱伝導率はとても大きく、空気の20倍だそうですから、水は体から熱をどんどん奪っていってしまいます。そのため、しだいに体が冷えてきて、血行が悪くなり、筋肉のけいれんを起こすことがあるのです。
このように、水温によって筋肉に血行不良が起こり、柔軟性を失い、けいれんを引き起こすことがわかります。そこで、練習を始める前に、あらかじめ筋肉の血行をよくし、筋温度を高めておかなければなりません。準備運動のとき、下半身に重点をおいて柔軟体操をすることです。ふくらはぎ、太ももの裏の筋肉などをとくに念入りに伸縮させ、ウォーミングアップしておきます。
また、あわせて関節を柔軟にし、どのような運動も無理なくできるようにしておくことが大切になります。首、肩、ひざ、足首そしてふくらはぎなどのストレッチングを、あらかじめ十分にしておきましょう。
日本ではあまり朗読CDで本を読むということをしないが、欧米では人気があり、新刊本から往年の名作まで朗読CD化され、普通の書店でずらりと販売されている。これは視力の低下している人のためだけではなく、車中の眼を休めたいときでも、そうした朗読CDを利用して多くの人が読書を楽しんでいるのだ。
それなのに、これが日本であまり利用されないのは、日常的に活字に親しむ文化があるので、わざわざ音声化する必要性を感じていない人が多いだけのことだろう。しかし、「音声は音声なりの楽しみがある」ということを知ったなら、朗読CDは趣味や実用にもっと活用されるに違いない。(中略)
同じ内容の文章を活字で読むのと、他人が朗読した音声を聞くのとでは、ほぼ同じ時間がかかる。「黙読なら、音声で読むより遅い」という意見があるかもしれないが、黙読にかかる時間は、自分で活字を音読した場合よりかなり速く読めるはずだ。そして、一定のペースで読み進める限り、自分で活字を読んだ場合と音声で聞いた場合とで、理解できた内容もほぼ同じだというに違いない。
実はそれでも、脳に入力される情報量は、音声より活字の方が少ないのである。なぜなら、音声で聞いた場合は、文字だけでは区別がつかないニュアンスの違いなどが朗読した人によって適切に判断され、イントネーション(抑揚)や「間」などを含めた音声表現として発話されるからである。
ここで、大切なのは、とりわけ科学の意義と限界をしっかりと見定めて、人間的知の全体をほんとうに見渡しうる哲学的知の立場を我がものとすることにある。というのは、科学的知は、二つの限界を持ち、その限界内でしか意義を持たないからである。
一つには、科学的知は、対象を突き放して、第三者的立場で、自分に関わりのない客観的事象として眺め、しかも、必ずそのつど、特定の観点からだけ対象を扱い、自分が関心を持つ側面だけを取り上げ、それ以外の局面を捨象し、けっして対象の全体を見ようとはしないのである。だから、科学が進むと、細分化が必至となり、隣の研究室でやっていることが、お互いにはまったくわからなくなる。専門化と特殊化が、科学の運命であり、いかに学際化が叫ばれても、根本的には①この傾向には歯止めが利かない。それはちょうど、近代的病院で、病気を扱う諸部門が、外科や内科等々として、細かく分かれ、人間全体を扱ってくれる部署は存在しないのと、同様である。
二つには、科学的知は、対象を、自分と無関係な事柄として扱う客観性がその特色をなしているので、そこでは、私たちが、自己として、主体的に決断して実践的に生きてゆく行為の問題を、本質的に扱うことができないのである。というのも、ある状況のなかで、いかに生きるべきかをよく考えて、決断し、行為してゆくためには、来し方行く末をよく熟慮して、もはや無い過去と、いまだ無い将来とを視野に収めながら、現在の状況のなかにつき入ってゆかねばならない。しかし、そのような無いものを視野に収めながら、記憶と期待という熱い思いを抱きつつ行為することは、知覚的に有る現在の事実に検証されることによってのみ確実性を得ようとする科学の実証性とは、まったく別個の事柄だからである。客観的な事実確認のみを大事と考える科学の次元と、人生の岐路に立って、右すべきか左すべきかに思い悩む行為者の立場とは、別個の事柄である。②科学は、いかに生きるべきかという後者の問題を、本質的に扱うことができないのである。
したがって、科学とは別に、存在の全体を視野に収め、世界のあり方の原理的全体を考慮して、世界観の知を育むと同時に、そのなかで、人間はいかに生きるべきであるかという、人間の主体的な行為の根本を考究して、人生観の知を形成するところに、哲学的な知の本質的な成立根拠があることになる。哲学が愛し求める真実の知とは、こうした人生観: 世界観の根本的な知にほかならない。
1月15日
(株)ファッション・ベル
代表取締役 橋田直子 殿
(株)A&Bビル開発
事業部長 前田一郎
拝啓 貴店におかれましてはますますご繁栄のこととお慶び申し上げます。
さて、弊社では昨年来、岸本駅前に7階建て貸しビル「岸本タウンビル」を建設中でございますが、来る8月末の完成を予定いたしております。「岸本タウンビル」は、伝統ある岸本商店街を若者層にもよりアピールすることを目指し、ただ今、テナント出店の募集をいたしております。
つきましては、岸本商店街を長く支えられ、商店街の顔とも言われる貴店にもぜひご出店お願えればと存じます。当ビルは貴店の現店舗より駅に近く、いっそうのご集客に貢献できることと存じます。
ここに出店募集要項を同封させていただきますので、ご検討の上お申し込みを賜りますようお願い申し上げます。
まずは、書面をもちましてご案内かたがた、お願いを申し上げます。
敬具
(株)A&Bビル開発
事業部長 前田一郎 殿
(株)ファッション・ベル
代表取締役 橋田直子
拝啓 厳寒の候、貴社にはますますご発展のこととお喜び申し上げます。
このたび、貴社のテナント募集にあたり、弊店にもお声をかけて頂きましてありがとうございます。
岸本商店街の活性化のため、若者にアピールする商店街にしたいという貴社の方針 心より賛同し、出店の方向で検討させていただいているところです。
ただ、弊店には現在の平屋になんじだ年配のお客様も多くいらっしゃることから、開店場所については、申込用紙にも記入いたしましたように、弊店の客層に合うよう 階または2階のエスカレーター付近を希望しております。いずれ具体的なをことを直9相談申し上げたく存じますが、どうか格別のご配慮をいただければ幸いでございます。
まずは、書面にてお願いいたします。
私たちは、その時の状況や、周りの人のまなざしに合わせるように、行動を決めていることがある。人は一人の時の行動と、人に見られている時とでは行動が変わる。誰かのまなざしを気にして動くのである。そして、多くの人々が行き交う街は、皆が皆に視線を向け合う「まなざしの集合体」と言える場所だ。そんな場所では何が適切な行動で、何が不適切な行動なのかという暗黙の公共性が生まれてくる。まなざしの集合によってそこに社会規範が生まれ、それは生活の型となって私たちの認識を導く。
こうした社会規範や公共性は、かつてはその場所での営みの中で自然に生まれてくるものであった。同じ土地で、たくさんの人が争わずに仲良く生活するためにひつようだからである。それがはっきりと明文化されていったものが、法律や制度がたくさんあるように思える。「街角でギターを鳴らしてはいけません」、「路上で物を売ってはいけません」、あげくの果てには、「公園でキャッチボールをしてはいけません」ということになる。
一体どういう意味があるのか明確ではないルールは単なる記号だ。それがなぜダメなのかという理由が共有できないまま、ルールは押し付けられて従っていることがある。そうやって与えられているルールに、自分でいちいち判断せずに従っていると、今度はそれが無意識の型となってくる。
なんとなく街を眺めて、なんとなくその場の型に従っていると、そのうちに周りの物事に対する疑問は次第に薄れていくのである。私たちは、なぜその行動をしているのか、なぜその場所にそのルールがあるのかを改めて考えなくなる。そうすると今度は物事の判断基準が「ルールに従っているかどうか」に変わってしまう。まなざしが集まるからルールが生まれるのではなく、決められたルールにまなざしを合わせることになる。
ルールとは私たちが共有している記号である。街ではどういう振る舞いが共有されていて、どういう行動は許されないのか。それに対して街の人々が想像したことが集合した結果として、取り決められるものである。しかしそれは繰り返される間に、だんだんと単なる記号になり、私たちの行動や認識も、単なる方型にはまっていく。だからこそ、もう一度それに正しくまなざしを向けなおすためには、その想像の型をいったん外して、全く違う型を取ってみることが重要なのである。
正南大学>在学生向け>施設の使用について>教室、正南ホール
教室、正南ホールの使用について
在学生、大学公認の団体は、勉強会や練習等で教室やホールを使用することができます(営利目的は不可)。
利用の可否は、書類の提出後に施設管理委員会が決定します。
〈教室の使用〉
申請可能な教室一覧
| 施設 | 机の種類 | 定員 | 備え付けの プロジェクター、スクリーン | |
|---|---|---|---|---|
| ① | 中教室102 - 106 | 固定 | 50名 | X |
| ② | 中教室 202 - 206 | 固定 | 50名 | ○[各教室 1台] |
| ③ | 中教室 302 - 306 | 移動可 | 50名 | X |
| ④ | 小教室 401 - 410 | 移動可 | 20名 | ○[各教室 1台] |
※備え付けのプロジェクター、スクリーンがない教室で、これらを使用したい場合や、2台以上使用したい場合は、学生課で借りられます。
〈正南ホールの使用〉
申請前に、代表者が学生課でホール使用に関する説明を受けてください。ただし、1年以内にホールを使用したことのある場合は必要ありません。
設備についての詳細は、「正南ホールについて」のページを参照してください。
提出書類一覧(提出先 : 学生課)
一つの企画に複数の書類の提出が必要な場合は、提出期限の最も早い書類に合わせ、まとめて提出してください。
| 種類 | 必要な場合 | 提出期限 | |
|---|---|---|---|
| A | イベント開催申請書 | 参加者 50名以上が見込まれるイベントを開催する。 | 3か月前 |
| B | ホール使用申請書 | 正南ホールを使用する。 | 2か月前 |
| C | 教室使用申請書 | 教室を使用する。 | 7日前 |
| D | 備品借用申請書 | 備え付け以外の備品を追加で借りる。 | 3日前 |