N1 言語知識(文字・語彙・文法)・読解
(テレビのコマーシャルで)
「こちらは添加物を( )使用していない、ヘルシーな食用油です。」
上司「君、困る( )!資料にミスがあったぞ。君のせいで大恥をかいたよ。」
部下「すみません。うっかりしておりまして……」
子ども「お母さん、来週の日曜日、さくら山に行ってもいい?」
母親「だめよ。今の季節、あの山にはハチがたくさん出るのよ。万が一、( )大変でしょ。」
いまはコミュニケーション能力が過剰に求められる時代である。職場でも学校でも、あるいはもっとプライベートな空間でもいい。あらゆる人間関係において、自分の価値を認めてもらうためには高度なコミュニケーション能力が必要とされる。書店に行けばコミュニケーション能力を高めるための自己啓発本があり余るほどでているし、わざわざそのための学校に41。
確かに、いまの産業のあり方をみると、コミュニケーションが富を生み出す経済活動の中心にきていることがわかる。製造業は人件費の安い海外に工場をどんどん移転させ、国内に残っているのは、マネジメントや企画、研究開発、マーケティングといった本社機能的な仕事ばかり。そこでは、組織をまとめあげる、アイディアをだす、交渉する、プレゼンをする、ディスカッションをするといった、高いコミュニケーション能力が必要とされる活動がどうしても物を言う。社会のあり方が、工場中心からコミュニケーション中心へと大きく転換しているのである。
しかし、コミュニケーション能力が、人々の価値を決める独占的な尺度になることは42。事実、コミュニケーションべたで自己アピールにそれほど長け(注1)ていなくても、能力のある人はいっぱいいる。私も大学でゼミを指導していると、ゼミの議論では目立っていてもリポートの出来はそれほどでもない学生や、逆にゼミではおとなしくても素晴らしいリポートを書いてくる学生に頻繁にであう。コミュニケーションの巧みさと本人の能力は必ずしも一致しない。
もちろんコミュニケーション能力も人間の能力の一つではある。だから、それが評価基準の一つになることは当然あっていい。43、コミュニケーション能力をめぐる過当な(注2)競争は、人間関係にひずみをもたらすだろう。
引きこもりは、社会のなかで要求されるコミュニケーション能力があまりに高いため、一度他者とのコミュニケーションにつまずくと、なかなか新たなコミュニケーションに踏み出せなくなってしまうことから生まれる。引きこもりまでいかなくても、周りとのコミュニケーションのなかで自分がまともに相手にされなければ、誰だって心を閉ざしてしまい、内にこもりがちになるだろう。コミュニケーション能力をめぐる競争が激しい社会は、44人にとても冷淡だ。
また、いじめは、子供たちのコミュニケーション能力の欠如から起きているのではなく、逆に、みんなが空気を読みすぎることで生じるストレスのはけ口を特定の人間に向けることで起きている。こうしたストレスや重圧は、子供に限った問題ではない。空気を壊してはならないという圧力は、人々にコミュニケーション能力をさらに要求するだろう。しかしそれが進めば、社会のなかで同調圧力が強まり、社会そのものが萎縮(注3)45。
他の人の成功事例をマネすることが、必ずしも自分の成功を約束するものではなくなったのがいまの時代です。昨日までの成功は、今日の成功を意味しません。そのような時代に大切なのは、やはり創造力です。そして創造力とは新しいものをつくりだす力を意味している以上、失敗を避けて培えるものではありません。
創造力を身につける上でまず第一に必要なのは、決められた課題に解を出すことではなく、自分で課題を設定する能力です。
2010年11月10日
エーピーシー株式会社
海外営業部長 田中春子 様
アサクラ株式会社
国際課長 西田良雄
拝啓
貴社はますますご盛栄のこととお喜び申し上げます。
先日お知らせいたしました通り、弊社は、事業拡大のため、来年1月に本社を現在の朝日ビル(北森区)から山中ビル(西川区)に移転いたします。それに先立ちまして、これまで東川区にございました国際課も、12月3日に山中ビル5階に移転することになりました。つきましては、以下の通り新住所および連絡先をお知らせいたします。
今後とも、なお一層のご愛顧のほどお願い申し上げます。
敬具
記
新住所 :〒141-0023 東京都西川区大町1-5-20 山中ビル5階
新電話番号 :03-7434-5656
新FAX番号 :03-7434-5657
以上
価値観や科学的常識は、誰にとってもいつの世でも、変わらぬものだと感じがちです。しかしそれは雲の形のように、一見、静止しているように見えて、じつはゆっくりと変化しています。あまりにもゆっくり変化するため、多くの人が、雲は静止画のように変化しないものだと信じているのです。
誰もが、たまたま自分の成長期に見ていた雲こそが「正しい雲の形」だと思い込みます。こうしてそれぞれの世代の人の脳裏にある雲の姿は、お互いに少しずつズレてきて、すれ違いが起こるのです。
データが示す姿は光の部分もあれば影の部分もある。そのどちらか一方だけを強調することは、分かりやすさという面はあるものの、徒に対立軸を先鋭化(注)させたり、無用の混乱を生じさせる危険性がある。
これらをいちいち意識しているのは大変であるが、少なくともデータをやみくもに信じてしまう態度だけはとるべきでない。データの罠を見分ける力、すなわちデータリテラシーは、多くの人にとって必要なものではあるが、本来は、公平で客観的な報道に努めるべきメディアに携わる人間が、しっかりと備えていなければならない必須の条件である。
すでに地図の空白がなくなった現在、地理的な冒険や探検といった行為は、時間が経つにつれてどんどん不可能になってきている。ジャーナリストの本多勝一氏は、冒険の条件として「命の危険性」と「行為の主体性」の二つをあげているが、近代の冒険は、その後者が重要なのだ。それはつまり自己表現の問題とも密接に関わってくる。ここでいう表現とは、地図上に誰もたどったことがない軌跡を描くという意味である。これまでの人類の歩みを俯瞰して(注1)、その隙間を見つけ、自分なりの方法で空白を埋めていく行為と言い換えることもできる。わかりやすいところでは、登山におけるバリエーション・ルートや、8000メートル峰(注2)を無酸素で登ることや、厳冬期にどこそこを横断するとか、はじめて大陸の最高峰に全部登るとか、そういうことだ。未踏(注3)の地がなければ、点と点を結んで誰もおこなっていないことをすればいい。そうした点と点を結ぶのが厳しい土地、アクセスの難しい場所、思いもよらないルールを形成するなら、なおさらその注目度は増していく。冒険の世界には、海でも山でも空でも、そういう志向が必ずどこかに存在している。白紙のキャンバス(注4)に絵を描くためには表現力が必要なように、地理的な空白がなくなった時代を生きる現代の冒険家たちは、そこに特別な自分なりの題材を見つけなくてはいけない。だからこそ冒険者はアーティストでもあるといえる。
世界の食糧供給の頭打ち(注1)、かつての日本と同じように、経済成長のために農業を衰退させ、一方では食生活の向上を図るアジアの動きなど、私たちが暮らしている輸入大国の基盤は意外に脆い。
私たちは、このへんで食料の危機管理体制を考えておく必要があるのではないか。
危機管理とは、いったんことが起きた時に、生産から流通までをどうするか、前もって体制作りを考えておくことである。体制を制度にしておかないと、食糧確保のためのある程度強制力を持った政策を実施することなど不可能である。畑にはイモ類を優先的に植えなければならない。個人的に嫌だという人がいても、国民が最小限の栄養をとるために協力してもらう必要がある。この点を制度化しておく方が良いのではないか、ということである。
平和な時には、この制度は眠らせておけばいい。いざという時に(注2)政府が発動する(注3)のである。普段は、政府はなるべく食料の生産や流通には介入すべきではない。それぞれの立場の人たちが、自由に活動出来るような環境を整えておく役割だけでいい。しかし何かの時には、食料管理に責任を持つ仕組みに移行するのである。多くの場合は、異常事態が過ぎ去るまでの一時的な措置になるだろう。
(中略)
食糧の危機管理体制とは、非常事態に備えた生産から流通までの仕組み作りである。発動する(注3)ことがないように祈りながら、制度を検討しておく必要があるのではないか。
日本の建築は寿命が短いが、これは木造自体の耐久性から決まるのではない。木造建築でも百年や二百年は持つ。千年以上持たせることも可能である。しかし、構造部材(注1)のメンテナンスが必要なので耐久性を考えると大材(注2)を用いたほうが良い。しかし、城郭(注3)や宮殿、館、寺院仏閣(注4)の類でないとなかなか大材を用いることができない。入手も難しいし加工にも手間暇(注5)がかかる。また、一般的に木造建築は火事や地震で失われることも少なくない。
日本人は白木の新しい建物を愛したが、時が経つと木の表面が黒ずんでくる。そこで、余裕がある者は、地震や火災に遭った時は勿論、ある程度老朽化してくると建て直し、周囲はその建て主のことを「甲斐性がある」(注6)といって褒め称えた。しかし、建て直すと言っても、大まかにいえばもとと同じものが建つ。勿論少し大きくなったり小さくなったり間取りが変わったりするが見た目に大差がない。そこで、街並みや風景は長期にわたって維持される。しかも木材はリユース(注7)、リサイクルされた。
これは、日本独特の更新の文化と呼んでも良い。この典型が伊勢神宮である。二十年ごとに隣合う敷地に交互に建て直されるが、建てられるものは全く同じである。建物を更新するためには、木材が必要であり、樹木も植林によって更新される。若木のほうが二酸化炭素の吸収能力が優れているから、若木への更新は環境上も評価できる。同時に職人技術も更新される。更新は環境に優しく、人々に仕事を与え、ゆっくりとした変化をもたらす木の国の優れた文化である。
心は目に見えない。だから客観的に知ることはできない。ならば、心とか意識なんて面倒なことを考えるよりも、目で見える、定規で測れるものだけを考えることにしよう。そう考える人がいても不思議ではない。
行動主義心理学(注1)と呼ばれるこの流派では、サルやネズミなどにレバー(注2)押しなどの行動を訓練し、その行動から動物の心を探っていく。しかし動物に「まずはレバーを押してみてください」と頼むわけにはいかない。例えば、初めて実験室につれてこられたサルは、そもそもレバーにさえ気づかないからだ。
では、サルにどうやってレバーを押させるのか?ポイントは二つ。ひたすら待つ。そして少しずつ目標に近づける。
例えば、サルが少しでもチラッとレバーを見たとする。そこですかさずエサを与える。これを何度か繰り返すと、サルの注意が次第にレバーに向いてくる。ここでいったんエサやりを止める。するとサルは、うろつきまわったりキョロキョロしたり、色々なことを試し始める。ここが我慢のしどころ。試行錯誤の中、サルの手がレバーに伸びるのをじっと待つ。そして手が少しでも伸びれば、すかさずエサを与える。
こうして、適切なタイミングでエサをやりながら、少しずつ目標の行動に近づけていくのである。
私はこのやり方を、大学院生の頃、助手の先生に教わった。それは教科書に書いてあるとおりのことだった。が、実際にやってみると、それは衝撃の体験だった。
エサやりのボタンを右手に持ち、白黒のモニターごしに、サルの行動をじっと見つめる。私はエサに念じていた。「振り向け、レバーに振り向け」。伝わらない思いを伝えたい。ふいにサルがレバーに近づく。と、すかさず「エサやり」というメッセージを送る。それは紛れもなく(注3)コミュニケーションであった。
この訓練をずっとやっていると、徐々にサルの気持ちがつかめてくる。そして、気持ちがつかめてくると、訓練は格段に早く進む。行動だけを見よといいながら、その実(注4)、うまく訓練するにはサルの心がつかめていなければならないのだ。心は行動からしかつかめない。しかしそれがつかめたとき、手の中にサルの心があるように思えてくる。そのとき私は、学問の本当に大事なことは、教科書には書いていないことを知ったのだった。
テレビや新聞などで年々深刻化するゴミ問題が取り上げられている。例えば一般的な家庭ごみとして、生ゴミのほかにも食品容器や商品などの過剰包装による廃棄物が多く見られるという報告がある。最近では指定されたゴミ袋を買ってごみを捨てたり、客に買い物袋の持参を促したりする動きがあるが、ごみの量に変化は見られない。
もし、自治体が家庭ごみ一個の収集につき○○円と有料化すればごみは減るかもしれない。ごみ自体の廃棄にもお金がかかるようになれば、誰もがごみを出す前に考えるようになるだろう。そうなれば消費者は不必要な包装を断り、使用可能な物まで捨ててしまうことも減少するのではないだろうか。
現代社会は数十年前と比較にならないほど便利な生活が可能になった。しかし、不要になった物を再利用することよりも便利さを優先してきた結果、家庭ごみは増え続ける一方だ。
家庭ごみを減量するため、現在、ゴミ袋を有料化し消費者が処理費用の一部を負担することになっている。しかし、それだけでは不十分であり、所定の場所でのゴミの収集にかかる費用を消費者に負担させようという意見も出ているが、そうなればごみを所定以外の所に隠れて捨てるおそれも出てくる。このような問題を解決せずに安易にこれを実行に移すのには賛成しかねる。
物が生産され、消費者が購入し、不要なものは廃棄されごみになるという循環を考えると、新しい製品を次々と作りだす生産者も、それに慣れ切ってしまった消費者も便利さに対する意識を変える必要があるのではないか。
例えば、3年間ずっとノーミスでやってきた論田くんが、はじめてミスを出した。
3年前からずっとその仕事ぶりを観てきた上司と、異動していきなり論田くんのミスに出くわした上司と、論田くんへの印象は同じだろうか?
両者のミスの「情報占有率」がちがう。つまり、3年間のつきあいの中で、ミスが占める割合と、たった1回初めて論田くんと接した中で、ミスが占める割合だ。
相手は、あなたが過去からずっと積み上げてきたすべての情報で、あなたを判断するのではない。結局は、そのとき相手が持っている情報だけで判断される。その中で、いい情報の占める割合が多ければ「いい人だ」となる。
あなたが「優しい人」で10年間怒ったことがなかったとしても、10年ぶりに怒ったとき、たまたまでくわした初対面の相手にとっては、それが100%だ。あなたを「恐い人」だと思う。
自分にふさわしい「メディア力」を相手の中に刻むために、ちょっと「情報占有率」を意識してみるといい。
コミュニケーションでは、出会いからはじまって、相手から見たあなたの「メディア力」が決まるまでの間が肝心だ。つまり、初めの方が慎重さがいる。ここで、かっこつけるのでもなく、でも、あなた以下にもならず、等身大の(注1)あなたの良さが伝わるのが理想だ。
いつも質の高い仕事をしているなら、はじめての仕事先に対して、決していつもの質を落としてはいけない。ふだん静かな人なら、初対面の相手にも、奇をてらったり(注2)せず、普段どおり静かにしていればいい。自分にうそのないふるまいをする、ということは、初対面の相手にこそ大切だ。
さて、ここで問題なのは、ふだんとても穏やかなあなたが、その日はたまたま嫌なことが重なり、攻撃的になっているという場合だ。自分にうそのないということで、相手にきついことを言ってしまったらどうだろう。あなたにとっては、年に1回の、「たまたま不機嫌な日」でも、相手にとっては、あなたに関する情報の100%になる。
初対面の相手、まだ付き合いの浅い相手には、すこし慎重になって考えてほしい。
何が、自分にうそのないふるまいか?自分の正直な姿を伝えるとはどういうことか?
日ごろ99%穏やかなあなたなら、1%の異常よりも、いつもの穏やかさを伝えるほうが、結局は、正直な姿を伝えている。相手の中に、あなたの実像に近い「メディア力」が形成されるからだ。初対面の相手にこそ、平常心であること、普段どおりにやることが大切だ。
| 名前 | 国籍 | 2010年4月時点の在籍年次 | 専攻 | 成績 | 2011年度他の奨学金の受給予定の有無 |
|---|---|---|---|---|---|
| ソムシリー | タイ | 修士1年 | 電子工学 | 3.0 | 有 |
| ワン | 中国 | 博士2年 | 農学 | 2.9 | 無 |
| アフマド | エジプト | 修士1年 | 法学 | 2.8 | 有 |
| ジョン | アメリカ | 学部4年 | 理学 | 3.0 | 無 |
財団法人 日本留学生奨学財団
2011年度 外国人留学生奨学生募集要項
1.募集人員 30名
2.奨学金の支給額•支給方法など
① 支給額 大学院修士課程(博士前期課程) 月額100000円
大学院博士課程(博士後期課程) 月額120000円
② 支給期間 在籍する大学院の正規の修学期間で、最長3年間
③ 支給方法 毎月一回決まった日に、受給者本人名義の銀行口座に直接振り込む
3.応募資格
①国籍•ビザについて
•日本以外の国籍を有し、勉強または研究のための在留資格(例えば留学)で、日本に入国した者
②対象
•日本国内の大学院で、理学、工学、農学の分野を専攻している者
•2010年4月時点で、修士課程の1年次、博士課程の1年次か2年次に在籍している者、または修士課程の2年次で、2011年4月に博士課程進学を予定している者
•2009年度の大学院での成績が2.8以上(満点3.0)で、心身ともに健康な者
•2011年度に、それぞれの政府、日本政府、他の財団などの奨学金支給を受けない者
4.応募方法
①提出書類(指定のものは当財団ホームページからダウンロードして使用すること)
•2011年度日本留学生奨学財団奨学生応募用紙(指定のもの)
•在学証明書と2009年度の成績が分かる成績証明書
•在籍大学院の指導教授からの推薦書
•研究計画書(3000字以内)、書式は自由
②応募締め切り 2010年7月31日必着
なお、申請者が直接応募するのではなく、必ず所属の大学院を通じて応募すること
5.選考方法
応募書類、面接を総合的に判断して決定する
6.決定通知
2010年9月10日までに所属の大学院を通じ、書面で通知する
7.問い合わせ先
日本留学生奨学財団 http://www.ryugaku.or.jp/