N1 言語知識(文字・語彙・文法)・読解
(電車の中で)
A「いつもならこの時間帯は込んでるのに、今日は空いてるね。」
B「祝日だからね。」
A「あ、そっか。どうりで空いてる( )。」
父が父でなくなっている。家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えるという父の役割が消えかけている。41、家族はバラバラになって、善悪の感覚のない人間が成長し、全体的視点のない人間や無気力な人間が増えている。
父としての役割は立派な父でないと果たすことができない。立派でない父が家族を統合しようとし、理念を掲げても、家族から無視されるだけである。立派な父が必要とされているのに、その立派な父が育ちにくいのが現代社会である。そもそも「立派」などというものが流行らない世の中なのだ。全体の将来を考えてリーダーシップをとり、取りまとめ、ルールを教えるという「立派な」人格は、尊敬の対象にはなりにくい。あまり立派でない、むしろだらしのないくらいの父親のほうが42。
父でなくなった父の典型が「友だちのような父親」である。彼らは上下の関係を意識的に捨ててしまった。価値観を押しつけることは絶対にしない。何をするのも自由放任である。しかし43は「自由な意志」を持つようにはなるが、「よい意志」を持つようにはならない。
「友だちのような父親」はじつは44。父とは子どもに文化を伝える者である。伝えるとはある意味では価値観を押しつけることである。上下の関係があり、権威を持っていて初めてそれができる。しかし45の関係では、文化を伝えることも、生活規則、社会規範を教えることもできない。「もの分かりのいい父親」は父の役割を果たすことのできなくなった父と言うべきである。
「コミュニケーション」という言葉はふつう、双方がメッセージを伝え合うこと、あるいは意思を疎通させること、といった意味合いで用いられているが、これはじっさいのコミュニケーションの全体像をとらえてはいない。たとえば、黙して何も語らないこともコミュニケーションの行為であり、また視線の動きやちょっとした仕草だけでも、十分にコミュニケーションは成立する。
ネット社会(注1)の匿名性は完全に透明人間の心理です。自分がどこにアクセス(注2)しているかなど、みんなにわかってしまうなら、やっても面白くないはずです。それだと制限のある普通の社会と同じだから。ですから、ネット社会の匿名性というのは、心理的には透明人間の世界なのです。しかも初期には規制はほとんどなかった。今でも巨大匿名掲示板(注3)「2ちゃんねる」(注4)などでは、犯罪を起こした場合は摘発されますが、そこまでいかなければ、何を書いてもいい社会になっています。
2009年12月14日
お客様各位
(株)ファニチャー美木
http://www. Furnituremiki.co.jp/
( )
拝啓
師走の候、ますますご盛栄のこととお喜び申し上げます。日頃より格別のごひいきを賜りありがとうございます。
さて、誠に勝手ながら、弊社は年末年始の下記期間を休業とさせていただきます。休業期間中も弊社ホームページでのお問い合わせ・ご注文は可能ですが、対応はすべて休業明けとなります。お問い合わせへのご回答・商品の発送等に通常より時間がかかりますことをあらかじめご了承下さいますようお願い申し上げます。
敬具
記
2009年12月29日から2010年1月4日まで
以上
飲料大手の商品開発担当者が「当たり前の名前では消費者の琴線に触れず(注1)、踏み込みすぎると『ふざけている』と思われる。そのバランスを図り、試行錯誤を続けるしかない」と語っていましたが、本音でしょう。でも場当たり的なネーミング(注2)では過激な競争に勝ち抜けません。音に対する感性を磨き、音の表情に敏感になり、何はさておき(注3)自社製品を愛し、育てる意欲を持つことがネーミングの前提条件です。
「あの人は、私が話し始めて一分とたたないうちに、話題を自分の話にすりかえてしまう」と言われる人のなかには、決して聞き上手ではないけれど、不思議と嫌われない人がいる。
話を奪われた人も、「私の話よりずっとおもしろそう。私の(注1)話が宙に消えてもしょうがないか」という寛容な気持ちになるのだろう。
もちろん、私は「だから、話上手になればいいんですよ」とは言わない。ただ、「聞き上手でないことが帳消しになるほど話上手な人のしゃべりは、ちょっと研究してみる価値がありますよ」とご提案したい。
聞き上手になるための“修業”(注2)をしていると、そのうち話の上手な人の特徴がわかってくると思う。
聞き上手から、話上手でもあるというプラスアルファの魅力を持つ人間へとステップアップする(注3)には、いつの間にか相手を自分の話に引きこむのが上手な人の話ぶりを、「それはなぜなのか」と自分なりに分析すると、とても勉強になるのだ。
一人で分析するのが難しければ、だれかに「あの人は話が上手だよね。どんな話しぶりに惹かれる?」と疑問をぶつけてみるのもいい。
その勉強の成果は必ずや、自分の言動に投影されるはずだ。だれだって、他人のいいところは真似したいと思うから。
ツバメは季節の変化にあわせて、暮らす場所をかえる渡り鳥です。日本が冬の時期は、暖かくてえさの豊富なオーストラリアや東南アジアで暮らしています。たまごを産んでひなを育てる繁殖期が近づくと、春になってえさとなる昆虫が一気にふえる日本へ向けて、いのちがけで海を渡ってきます。
ツバメの渡りは地球の南半球から北半球へと、何千キロメートルにもなります。ツバメがいつ渡ってきたかで、ツバメが暮らしていた地域や、渡りのルートの気象の変化や環境の変化をおしはかる(注)ことができます。そして、その変化を長期間にわたって観察をつづけることで、地球全体の気象の変化を予測する手がかりにもなるので、気象庁では、その年にはじめてツバメを見た日「ツバメの初見日」を、各地の観察者や研究者からの報告をもとに、記録をとっているのです。
ツバメが渡りの行動をおこすのは、日照時間にかかわりがあるといわれています。(中略)
日照時間は年ごとの変化が比較的少ないので、日時がそれほどずれることがありませんでした。ところが長年蓄積された記録を調べてみると、近年、各地のツバメの初見日が早まってきていることがわかってきました。
その原因は…。
まだはっきりとつきとめられてはいませんが、地球温暖化によっておこる気象の変化で、オーストラリアや東南アジア地方の晴、雨天のバランスがくずれ、日照時間にまでくるいがでてきているのかもしれません。
消して費やしてしまう、使って無くしてしまう――どうも消費という言葉のイメージは前向きではないですね。消費者という言葉も、そう。生産者と対比して、消極的イメージがつきまとう。消費者という言葉は、経済用語のなかでもっとも不適切な一つだと私は思います。行為の中身からひどくズレています。
消費と呼ばれている行為は、その中身から言えば、生きていくのに必要なものを使うことですね。私たちは衣食住その他に、さまざまなものを使います。しかし、そのことを「消費」と呼ぶのは正しいか。正しくないと、言うべきです。なぜなら、人は食べ物を食べることによって、自分の身体を生産しているのです。なるほど、食べ物の形は消えてしまいます。しかし、それは私たちの生命としてよみがえっているのです。衣服を身につけることはどうか。それは体温を維持させることによって命をつくり出すだけでなく、他人にあたえる私たちの印象を生産しています。このように、消費と呼ばれている行為は、私たちの命と生活を、そして次の世代の人間を生産する行為です。それなのにそれを消費と呼ぶのは、物の生産者の側から見た言い方にすぎません。
心理学は昔から心について研究してきたわけですが、実は肝心の感情(情動)についてはまだよくわかっていないのです。えっ、感情こそ心理学が得意とするところではないのですか、と①不思議に思われるかもしれません。しかし、現代の心理学が得意としているのは、どちらかというと、私たちが目や耳で周囲の世界をどのようにとらえるかという感覚や知覚の働きであり、どのようにものを考えるかといった認知と呼ばれる働きについてです。そうした働きと感情を一体化した心のプロセスが、私たちの②全体的な「生」の体験なのかもしれません。
最近では脳科学やコンピュータの専門家と協力しながら、世界中の精鋭たちが心のメカニズムの研究に取り組んでいます。その成果がロボット工学などに応用されているわけです。人間と同じように見たり、聴いたり、歩いたり、話したりする精巧なロボットたちが作られています。しかし、まだ感情機能をもつに至っていないのはご存知のとおりです。ロボットもうれしそうな表情などをしてみせることはできます。犬型のペット・ロボットならしっぽを振る仕草もします。しかし、それらは表面的な動作をしているだけで、感情の働きがそうさせているわけではありません。複雑な心の働きの中でも特に感情機能を解明するのは難しく、それをうまく再現できないからです。
感情は私たちの体験を豊かに裏打ちして(注1)、なにかを選んだり、しようとしたりする行動を駆り立てる(注2)動因にもなります。例えば、好き嫌いを理屈(論理)で説明することは難しいはずですが、実際の行動は簡単にやれます。ボーイフレンドやガールフレンドを論理や計算だけで選ぶ人はいないはずです。まあ、計算づくで(注3)結婚相手を決めようとする人もいるでしょうが、その裏には別の気持ちが動いていそうです。感情は私たちの思考や行動の土台になっていると考えることができそうです。そのため、気持ちの落ち込みがひどいときには、普段何気なくやれていたことができなくなることがあるのです。
筆者の述べている感情の働きを以下のようにまとめる場合、( )に入るものとして適切なのはどれか。
「私たち人間は、感情の働きによって( )。」
しっかりした人生を歩むには、やはり「学歴」が必要です。そう断言すると眉をひそめる(注1)人もいるかもしれません。しかし私には、学歴なんかいらない、あるいは、ほどほど(注2)でかまわないという考え方は、中途半端なきれいごとに思えてなりません。
学歴がなくて苦労をしたという話は、昔はさんざん聞かされました。最近はあまり言われていないだけで、本当はもっと厳しい選別が行なわれているそうです。(中略)
親ならば、一生を幸せに生きていける、一生、食べるのに困らない「生きる力」を、子供に付けさせるべきです。そして、そのための最良の方法が「学歴を付けさせる」ことだということは、今も昔も、変わりないのではないでしょうか。
いったい、学歴とはなにものなのか。
会社は、厳しい過当競争のさなかにあって、実力で勝負しなければならないというのに、そこで働いている人は、入社前に教育を受けた「場所」で評価されるというのは、どう考えても納得がいかない。教育の「質」が問われるのならばまだ解る。「場所」というのは、正常ではない。わずか数年間の学校教育が、以後何十年にもわたって、その人の看板として通用するというのは、奇妙というほかはない。
(中略)ほんの小さなグループから出発した私たちの会社では、何でもやれる人が、それをやる、といった気持ちで仕事をしてきたつもりであったのに、人数が増えてくるに従って、いつとはなしに、学歴による区分といった方式が、なんとなくとり入れられつつある事実に気付いて、はっとしたことがある。
AとBの二つの文章を以下のようにまとめる場合、①と②に入るものの組み合わせとして適切なのはどれか。
「Aの筆者は( ① )と考えているが、Bの筆者は( ② )と考えている。」
給与には外的報酬と内的報酬のふたつがある。
外的報酬とは給与そのものやインセンティブ(奨励金)といった、お金として受け取れるものである。
それに対して内的報酬とは、給与の額には表れないが、その仕事を通して得られる満足の報酬といったものである。
たとえば、こんな給与はどうだろうか。
外部の人と知り合う機会がある「出会い給与」、そこにいるだけで新しい情報に触れられる「情報給与」、専門的な技を習得できる「技磨き給与」、気の合った仲間と一緒にいられる「ふれあい給与」、そして一流の人をそばでウォッチできる(注1)「おそば給与」など、そんな給与の名称はないが、あると嬉しい給与である。
私の場合、外的報酬よりも内的報酬を増やすことを心がけてきた。
たしかに、同僚よりも低く評価されたショックは今でも忘れられないし、同期とのボーナスの差が何十万もあって愕然としたこともあった。
しかし、生活が脅かされるほどの額でもないと割り切れば、目に見えない給与を増やすほうが個人的な満足は高いことがわかったのである。
また、仕事を長く続けていくには、内的報酬がちゃんとなくてはつとまらないということもわかってきた。
仕事をなし遂げたときの「達成感」や、自分が成長していることを実感できる「成長感」こそ仕事の原動力であって、他人からの評価という、自分の努力ではいかんともしがたい(注2)ものにとらわれすぎるのは得策ではないと気づいたのである。
(中略)
どんなに外的報酬が高くても内的報酬が極端に低い仕事だと、長く続けることはできない。また、①そこで得たお金は身につかないことが多い。
いっぽう、内的報酬の高い仕事なら、もしかしたら将来ビッグな(注3)報酬に化けるかもしれない。その可能性は充分にあると言っていい。たとえ戻ってこなかったとしても、続けていけるよさはある。
私の友人に、編集部で十年間アルバイトを続けた人がいる。正社員に比べて給与は低く、ボーナスも、退職金ももちろんない。
しかし、その後フリー(注4)になった友人は、正社員よりもはるかに多い報酬を得るようになった。アルバイトの十年間で技術を身につけ、人脈を培い、仕事の幅を広げた、②まさに内的報酬が外的報酬へと実を結んでいったのである。
時価で給与を計るより、心の満足を含めたトータルかつ長期の視点で報酬をとらえないと、結局のところ給与は増えていかないのだと思う。
清森市 秋の美術コンクール
作品募集
部門 絵画部門、写真部門
募集期間 2010年11月1日〜11月30日
審査員 山田太郎(日本アート協会会長)、山本花子(画家)、川上次郎(写真家)
応募規定 1 清森市内の秋を題材にしたもの。
2 絵画部門に出品する作品は、イラスト、水彩画、油絵、どれでも可。
3 写真部門に出品する写真は、フィルム写真、デジタル写真、どちらも可。
※応募作品は各部門1人1点に限ります。
※作品の制作年は問わないが、未発表のものに限ります。
(他のコンクールに入賞していたり、出版物や展示会などで公表されたりしていないものであること。)
応募方法 郵送、または持参。ただし、郵送中の事故について、市は責任を負いません。
指定の応募用紙を作品裏側に添付のこと。応募用紙は市役所の窓口で、または市のホームページ(http://www.kiyomori-shi.jp)から入手可能。
応募先 清森市商業観光課観光係
(〒951-0022清森市清森2-8、TEL084-874-8524)
賞
| 最優秀賞 | 各部門1点 | 賞状と副賞(デジタル一眼レフカメラ) |
| 優秀賞 | 各部門2点 | 賞状と副賞(清森ホテルのペア宿泊券) |
| 清森賞 | 各部門20点以内 | 賞状と副賞(図書カード5千円分) |
審査結果 清森市のホームページ上に1月15日に発表します。入賞者には1月中に結果を郵送します。電話および窓口での問い合わせには応じられません。
表彰式 2011年2月下旬(予定)最優秀賞と優秀賞の方には、表彰式で賞状および副賞をお渡しします。
注意事項 ※入賞作品は、1年を限度に主催者がお預かりして広報活動などに使用し、1年後にお返しします。
※上記の応募規定を守っていなかった場合には入賞が取り消されることがあります。
〈主催〉 清森市 〈協賛〉 昭和デザイン株式会社、山手百貨店、新東京鉄道、清森ホテル